リード
首都リヤドのカフェで若者がスマートフォンを操作する手元には、過剰なまでに整えられた容姿のモデルたちが流れてくる。街の喧噪の中、ディスプレイから漂う完璧主義の空気と、伝統的な家族の姿が薄れつつある現地の日常には、大きな落差が広がっている[1][3]。サウジアラビアはいま、急激な経済発展とテクノロジーの波の中で、個人の身体観から老後の保障、人生の哲学に至るまで、生活のあらゆる場面で意識の変化に直面している[1][2][3][4]。ローカル紙の報道からは、華やかな現代化の裏で生活者が直面する模索と現実の肌触りが伝わってくる[1][3]。
「XS–XL」体型を追い求める湾岸の美容整形リスク
ドバイを拠点とするロシア人形成外科医ドミトリー・メルニコフ氏は、近年湾岸諸国で「XS–XLルック」と呼ばれる極端な美容整形の需要が高まっていると警告を発している(出典は配信日を明記していない)[1]。これは極度に痩せた体型に、通常を超える大きなインプラントによる豊胸や体型補正を組み合わせる施術だ[1]。オゼンピックやウェゴビーといったGLP-1受容体作動薬(糖尿病・肥満治療薬)による急激な体重減少と、SNS上で流れる人工的な体型画像への憧れが重なった結果だと同氏は分析する[1]。しかし、急激に痩せた皮膚は薄く手触りも弾力を失っており、そこに重いインプラントを配置すると組織に過度な機械的負荷がかかり続ける[1]。メルニコフ氏は「重篤なケースでは、傷口の治癒遅延、感染症、組織壊死、創部開離、皮膚からインプラントが露出する恐れがあり、摘出を余儀なくされることもある」と指摘する[1]。同氏は危険な手術を断り、患者に小さなインプラントや延期を勧めている[1]。「不安全な手術を行うくらいなら患者を失う方がいい。こうした極端な身体改造は自傷行為になり得る」と同氏は強い言葉で語る[1]。アルゴリズムが解剖学的に不自然な姿を日常のように錯覚させている現実に対し、同氏は危機感を募らせている[1]。
養護施設利用者の7割超が独身というサウジ高齢者の現実
かつて大家族で高齢者を支えるのが当然とされたサウジアラビアで、高齢者ケアホームの利用実態に関する統計が注目を集めている[3]。地元紙アル・ワタンが2026年8月11日に伝えたデータによると、施設利用者の実に71.7%にあたる175人が独身者で占められている[3]。次いで離婚者が44人(18%)、寡婦・寡夫が21人(8.6%)で、既婚者の利用はわずか4人(1.6%)にとどまる[3]。利用者の男女比を見ると男性が164人(67.2%)と全体の3分の2を占め、女性の80人(32.8%)を大きく上回っている[3]。また、利用者の52%にあたる127人は文盲であり、地域別では首都リヤドが86人(35.2%)、アル・バハが73人(29.9%)と多くを占めている[3]。サウジアラビア人が利用者の99.2%を占める中で、家族に恵まれなかった未婚男性の老後を誰が看取るのかという問題が数字となって表れている[3]。政府は在宅社会ケアプログラムを通じて家族内での介護維持を目指しているが、単身のまま高齢期を迎えた人々への支援体制の整備が急がれる[3]。
カミュ『シーシュポスの神話』が問いかける不条理と幸福
2026年8月11日付のアル・ワタン紙には、フランスの思想家アルベール・カミュの著作『シーシュポスの神話』を題材にした論考が掲載された(出典は著者の実名を明らかにしていない)[4]。この記事は、意味を求める人間の望みと、世界の冷たい黙殺との間に生じる「不条理」の体験について掘り下げている[4]。神々から巨大な岩を山頂へ押し上げる罰を与えられ、頂の直前で毎回ゴロゴロと岩が転がり落ちる無意味な作業を繰り返すシーシュポスの姿を通じ、論考は生きることの意味を問う[4]。カミュは自殺を逃避として拒否し、意味の欠如を自覚しながらなお生き続ける「反逆」こそが人間の自由と幸福を開くと主張する[4]。岩が落下した後に山を下りる瞬間、シーシュポスは己の運命を自覚し、岩は他者の罰ではなく自分の選択へと変わる[4]。答えのない不条理な現実に直面しながらも、日々の営みを自らのものとして引き受ける姿勢に、同紙の論考は現代人の生への希望を見いだしている[4]。
AIでコンテンツ発信力を鍛える若手クリエイターの挑戦
急変する情報環境に対応するため、政府機関も動いている。サウジデータ人工知能庁(SDAIA)は、国内の有力なコンテンツクリエイターを集めた「AIクリエイティビティ・ブートキャンプ」を開催した(出典は開催日や参加者の実名を明記していない)[2]。このプログラムは、メディア制作の現場で急速に活用が進む人工知能技術をクリエイターに習得させ、企画から制作までの生産速度と品質を高めることを目的に設計されている[2]。デジタル空間での発信力を高める一方で、トレーニングでは技術の倫理的利用や責任ある活用の重要性が強調された[2]。人間の創造性をメッセージ伝達の基盤として残しながら、新たなデジタルツールを使いこなす実践的な技術習得が進められている[2]。
背景を少し
中東の暮らしにおいて、伝統と現代化のせめぎ合いはさまざまな制度や思想に影を落としている。人事・社会開発省の公式情報によれば、サウジアラビア政府は高齢者がボランティアや次世代への経験伝達を通じて社会貢献できる環境づくりを推進してきた[7]。しかし、未婚率の上昇や核家族化の影響により、施設入所を余儀なくされる独身高齢者が増えるなど、制度の想定を超える構造変化が進む[3][7]。一方で、不条理を受け入れながら生きるカミュの思想は、オンラインの思想コミュニティや中東の知識層の間で議論されている[6][8]。カミュが「幸福と不条理は同じ土地に生えた二人組だ」と表現したように、あらかじめ与えられた意味がない状況の中でも自ら意味を見いだして生きる姿勢は、急激な社会変革に直面する現代の生活者にとって親しみやすい感覚となっている[6][8]。
日本から見ると
SNSが提示する過激な容姿への傾倒や、独身高齢者の増加、さらには生成AIの波に洗われるメディア環境というサウジアラビアの光景は、遠い異国の出来事とは思えない。日本もまた、過度なルッキズムや急速な孤立死の問題、AI技術と表現の倫理という共通の課題に向き合っている。とりわけ印象的なのは、血縁や大家族による相互扶助が強固だとされてきた中東社会において、未婚男性の高齢化と孤立が顕著な数字となって表れた点だ[3]。伝統的な家族構造の変化は、宗教や文化の違いを超えて、近代化を進める全ての社会が直面する課題であることを物語る。リスクを冒してまで完璧な容姿を追い求める若者たちと、施設で静かに老後を送る無口な男性たちの姿は、変化の渦中にあるサウジ社会のリアルな息遣いを伝えている[1][3]。