リード
シカゴの北に位置する広大な倉庫。そこには、熱気あふれる独特の空間が広がっている。有名ヘアスタイリストであり、ヘアアイロンブランド「ビーチウェイバー」のCEOを務めるサラ・ポテンパ氏が、スマートフォンのレンズに向かって熱弁を振るう。背後では10代の息子がDJとして音楽を流し、視聴者のコメントが画面を埋め尽くす。ポテンパ氏が「500件の注文が入ったら、義理の弟の頭をライブで剃る」と宣言すると、視聴者の熱量は一気に頂点に達した。中国で先行した「ライブコマース」が、今まさに米国の日常を塗り替えようとしている。2026年9月1日、全米のスマートフォン画面の向こう側では、かつてのテレビショッピングを凌駕する熱狂的な商取引が繰り広げられている。
シカゴの倉庫から全米へ、新時代の「衝動買い」体験
ポテンパ氏が率いるビーチウェイバーは、2026年に入ってからTikTokショップでの売上高が100万ドル(約1億4,600万円)に達し、その約4分の1がライブ配信によるものだ[1]。かつてテレビショッピングのQVCで名を馳せた同社だが、今は自ら配信を主導する。「QVCでは午後7時から10分間といった具合に時間が決まっていましたが、デジタルプラットフォームではもっと長く、自分たちで収益をコントロールできる」とポテンパ氏は語る[1]。この勢いに乗るのは新興企業だけではない。かつての王者QVCも、破産から立ち直った後、現在はTikTok上で7つのチャンネルを使い、週に200時間以上のライブ配信を行っている[1]。TikTokショップのアメリカ戦略担当責任者、パトリック・ノメンセン氏は、QVCを「競合ではなく、非常に成功したマーチャント(販売者)」と評価する[1]。ライブコマースのプラットフォーム「Whatnot」は、評価額が200億ドル(約2兆9,200億円)に達した[1]。視聴者は、限定版のヘアアイロンがオークションにかけられる様子を手に汗握りながら見守り、ホストとのリアルタイムのやり取りを楽しみながら、指先一つで購入ボタンを押す。かつての茶の間の風景は、今や手のひらの中の熱狂へと姿を変えている。
「健康」への執着が招いた家族の分断と病魔の影
一方で、SNSがもたらす情報の奔流は、米国家庭の食卓に深い亀裂を生んでいる。マイケル・リー・ホロックス氏は、元妻のリア・ステリー氏がパンデミック中にSNSの「ウサギの穴」に落ちていく様子を目の当たりにした[2]。リア氏はワクチンを危険視し、ロバート・F・ケネディ・ジュニア氏が主導する「メイク・アメリカ・ヘルシー・アゲイン(MAHA)」運動に傾倒。「クランチー・マム(自然派ママ)」としての彼女のこだわりは、夫婦間の衝突を招き、泥沼の離婚劇へと発展した[2]。悲劇は2026年の春に起きた。全米で麻疹(はしか)が流行する中、ホロックス氏とリア氏の3人の子供たちが重症化した。そのうち2人はワクチン未接種だった。医師は子供たちの症状を「教科書通りの麻疹」と診断した[2]。MAHA運動は、慢性疾患の克服や食品添加物の調査といった一見正当な目標を掲げているが、その根底には主流医学への強い不信感がある。2026年、米国の幼稚園児のワクチン接種率は、麻疹、おたふく風邪、風疹、ポリオなど多くの項目で低下し、集団免疫を維持できる水準を下回った[2]。8月最終週には、ペンシルベニア州保健局が、ワクチン未接種の2人が麻疹で死亡したと発表した。2026年に入って初めての死者だった[2]。信条の強さが生物学的な現実に直面した時、家族が支払う代償はあまりにも大きい。
スマホ決済の罠、2万人超の借金を抱えるZ世代の苦境
消費の熱狂を支える決済システムの裏側で、若年層の生活が悲鳴を上げている。非営利の信用カウンセリング機関「マネー・マネジメント・インターナショナル(MMI)」では、18歳から29歳のZ世代の顧客が急増している。2026年9月1日現在、顧客全体に占める割合は16%だが、その増加率は前年比35%増と、全世代で最も速い[3]。Z世代が抱える無担保債務の平均残高は、2025年から12%増加し、2万2,848ドル(約334万円)に達した[3]。MMIのプリンシパル・コンシューマー・ファイナンス・アナリスト、テッド・ロスマン氏は「状況は悪化している」と警鐘を鳴らす[3]。若者が借金に陥る要因は、単なる浪費ではない。キャリアの初期段階で貯蓄の蓄えがなく、家賃や学生ローン、育児費用がインフレを上回るペースで上昇している現実がある[3]。そこに、SNSを通じた消費圧力と、スマートフォンで完結する手軽な決済手段が追い打ちをかける。「クレジットカードを生活の維持手段(コーピング・メカニズム)として使っている」とロスマン氏は分析する[3]。画面上の華やかなライブ配信を楽しんだ数分後、若者たちは現実の請求書という「罠」に直面している。
日本から見ると
米国のライブコマースの熱狂は、かつての「1億総中流」時代のテレビショッピングが、個人のスマホに細分化され、さらに過激なエンターテインメントへと進化した姿に見える。日本でもライブ配信での販売は試みられているが、米国のような「義理の弟の頭を剃る」といった、なりふり構わぬパフォーマンスまで動員する商魂の逞しさには驚かされる。一方で、健康情報を巡る家族の分断や、若年層の債務問題は、決して他人事ではない。日本でもSNS上の医療デマが社会問題化しており、一度信じ込んだ情報を修正することの難しさは共通している。また、日本でも「後払い決済(BNPL)」の利用が若者の間で広がっているが、米国の事例は、決済のデジタル化が「お金を使っている感覚」を麻痺させ、生活基盤を容易に崩し得ることを示唆している。利便性がもたらす高揚感のすぐ隣に、深刻な生活の危機が潜んでいる。