リード
イランの夏は厳しい。首都テヘランでは、強い日差しが建物の壁やアスファルトを照りつけ、乾いた熱気が街全体を包み込む。だが、その暑さから逃れるように一歩路地に入れば、伝統的な建築の陰に心地よい風が吹き抜け、肌に触れる空気がわずかに柔らかく感じられる瞬間がある。イランの人々は古くから、厳しい自然環境と共生するための豊かな知恵を培ってきた。8月7日のイランでは、そうした歴史的な生活の知恵や文化財を次世代へと引き継ぐ取り組みと、最先端の科学技術や芸術が形作る現代の日常が同時に報じられている。砂漠の街で風を集めてきた古代の塔がヨーロッパの都市の猛暑を緩和するプロジェクトとして注目を集める一方で、テヘランの街角では市民が美術展に足を運び、研究者たちは数千年前の未知の文字を解読している。イランの今を生きる人々が何を楽しみ、どのような価値を創り出しているのか、現地の文化や暮らしの最前線を追う。
風の塔が都市を救う——古代 Persian 建築の知恵が欧州へ
イタリア・サルデーニャ島の都市オルビア出身のデザイナー、ダニロ・ペッタは、イランで数百年にわたり使われてきた伝統構造「バドギール(風の塔)」から着想を得た可動式の風捕獲システムの開発を進めている[1]。ヤズド、ケルマーン、カーシャーンといったイランの都市に多く見られるバドギールは、電力に頼ることなく、上空の自然な風を捕まえて建物内部へと送り込み、涼をもたらす仕組みを持つ[1]。ペッタは建築事務所マスク・アーキテクツや技術会社AQHイタリヤと協力し、夏場に海風や地域の風を集めて熱がこもる街路や広場へ流し込むモバイル風の塔を構想している[1]。初期の試算によると、このシステムによって局所的な気温を1度から2度下げ、体感温度を最大で5度低下させることができるという[1]。ペッタは「都市の冷却は重要な課題だ。単に木を植えるだけでは足りない」と述べ、日陰を作るだけでなく風の流れを効果的に導く都市設計の必要性を主張している[1]。さらに、プレキシガラスのような素材が温室効果を引き起こして暑さを悪化させているバス停留所などのインフラ再設計も提案している[1]。砂漠の環境で研ぎ澄まされた古代の冷却技術が、地球温暖化に悩む現代都市の課題解決策として再評価されている[1]。
猛暑のテヘラン、ギャラリーで触れる夏の静寂
外角の熱気とは対照的に、テヘラン市内のギャラリーでは冷房の利いた静かな空間で様々な美術展が開催され、人々の憩いの場となっている[2]。エラーヒーイェ地区のアクガリ通りにあるケイマン・ギャラリーでは、8月16日まで「夏」と題したグループ絵画展が開催されている[2]。白を基調としたギャラリーの壁面には、彩り豊かなキャンバスが飾られ、訪れる人々の目を楽しませている[2]。テヘラン市内ではほかにも多彩な展覧会が展開中だ。セパンド通りのイランシャハル・ギャラリーでは、マリアム・サルールの個展「私が書いた詩の中で」が8月18日まで開かれている[2]。また、モタハリー通りのボスタン・ギャラリーではレイハネ・アフザリアンとババク・ハッキによる「花への瞑想」が同じく8月18日まで、ノース・ミルザ・シラジ通りのフール・ギャラリーではアイディン・ハンケシプールによる個展が9月1日まで開催されている[2]。シャリアティ通りのシャリフ・ギャラリーや、ノース・ケラドマンド通りのエヴ・ギャラリーなどでも若手や中堅作家の作品が並ぶ[2]。市民は過酷な夏の暑さを避けながら、街の中に点在するギャラリーで日常の中の芸術を楽しんでいる[2]。
解読された失われた文字と、蘇る世界最高峰のレンガドーム
イランの豊かな歴史をめぐる最新の学術的成果と文化財保護の動向も相次いで発表された。フランスの考古学者で言語学者のフランソワ・デセが率いる国際研究チームは、イラン高原最古の文字体系の一つである「線状エラム文字」に関する集大成となる研究書『線状エラム文字碑文と関連楔形文字テキスト』を刊行した[3]。全180ページに及ぶこの著作は、イラン人研究者のカンビズ・タビブザデや、ジャン=ピエトロ・バセッロ、ジャンルカ・マルカッザン、ロラン・コローナ・ディストリアらの協力のもと著された[3]。デセはメディアの取材に対し、スーサで発見された既知の線状エラム文字テキストを正確かつ体系的に分類することが主目的だったと説明している[3]。この書籍では、アワンの王でありスーサの統治者であったプズル・インシュシナクの時代の碑文に焦点を当て、二言語表記の慣習や当時の政治体制についての分析を提示した[3]。デセは「この本はイランと国際的な研究者の共同作業の成果だ」と語り、エラムの行政および政治構造の解明が進んだことを強調している[3]。一方、ザンジャーン州では、2005年にユネスコ世界遺産に登録された14世紀の建造物「ソルターニエのドーム(オルジェイトゥ廟)」の内部修復作業が近く開始される[4]。8月7日、ザンジャーン州文化遺産・観光・伝統工芸局長のセイエド・ミカエル・ムーサヴィは、業者選定を経て東部および西部区画の保存作業や新しい木製入口ドアの設置、東部のタイル工事、発掘エリアの整備を進めると発表した[4]。この建造物は、モンゴル帝国のイルハン朝がソルターニエを首都としていた1302年から1312年にかけて、スルタン・モハンマド・ホダバンデ(オルジェイトゥ)によって建てられた[4]。高さ約50メートルにおよぶ青いタイルの二重構造レンガドームは、同種のレンガドームとして世界最大規模を誇る[4]。ムーサヴィによれば、今回の修復フェーズが完了すれば、長年の保存作業のために内部を覆っていた足場が撤去され、創建当時の壮大な内部空間が再び開放される見通しだ[4]。
僻地村落の集会場から最先端医療まで——イランの挑戦
イランの文化や技術は、国際的な評価や最先端医療の現場でも成果を見せている。建築事務所ネクストオフィスのアリレザ・タガボニが手掛けた「ネダラグ・ゲストハウス」が、11月18日から20日まで米国フロリダ州フォートローダーデールで開催される世界建築フェスティバル(WAF)2026のノミネート作品に選出された[5]。この施設は、イラン南東部のサンニー派バルーチ族が暮らす約200世帯の貧しい僻地村落に建てられた非営利の地域施設である[5]。土地は村人が寄付し、設計チームと長老たちが対話を重ねて位置を決定した[5]。伝統的な建築様式「カパール」を再解釈し、多層構造の屋根によって自然な風の流れと日陰を生み出すパッシブクーリング設計が採用されている[5]。ドーム型の伝統的な幾何学構造と現代のトラス技術を融合させたデザインは、現地の職人と共同で造り上げられた[5]。また、先端医療の分野では、ロイアン研究所が小児がん患者の将来の生育可能性を守る医療技術で実績を上げたことが8月3日のプレスリリースで発表され、8月7日に詳しく伝えられた[6]。同研究所の産婦人科・不妊治療専門医であるフィルーゼ・ガファリらのチームは、ユーイング肉腫と診断された初潮前の少女2人に対し、骨盤への放射線治療を行う前に、腹腔鏡下で卵巣を放射線照射範囲外へ移動させる手術(LOT)を実施した[6]。3年が経過した現在、2人の少女はともに自然に思春期を迎え、正常な月経周期と卵巣機能を維持している[6]。ガファリは「この手順を行っていなければ、永久的な卵巣不全や将来の不妊の可能性が極めて高かった」と語った[6]。小児がん治療と将来の生殖機能温存を両立させたこの成果は、患者とその家族に大きな希望を与えている[6]。
背景を少し
イランの建築史は紀元前5000年まで遡り、長い歴史の中で厳しい乾燥気候を克服するための独特な技術を発展させてきた[7]。例えばゴルスターン州にある1006年建立の「ゴンバデ・カーブス」は高さ53メートルを誇る世界有数のレンガ塔であり[8]、ソルターニエのオルジェイトゥ廟とともにイランの高度なレンガ建築技術を証明している[4][9]。首都テヘランから北西に約240キロメートル離れたソルターニエは、かつてイルハン朝の首都として栄えた都市である[9]。日ざしを遮り風を効果的に室内に取り込むイランの砂漠建築の知恵は、伝統的な歴史遺産にとどまらない[1][5]。現代の建築家アリレザ・タガボニによる村落のパッシブクーリング構造や[5]、イタリアのデザイナーが都市酷暑対策として注目するバドギールの応用など[1]、伝統技術と現代の環境設計を結びつける試みが国境を超えて広がっている。
日本から見ると
猛暑や地球温暖化への対策は、日本にとっても喫緊の課題だ。日本では打ち水やすだれ、グリーンカーテンといった伝統的な「涼」の取り方が見直されるとともに、遮熱塗料や省エネ空調といった現代技術の開発が進む。イランの古代建築バドギールがヨーロッパの都市計画家を魅了し、現代のモバイル冷却装置へと姿を変えようとしている試みは、伝統とテクノロジーの融合が持つ可能性を示している[1]。また、過酷な地理的条件の中でも、過疎村落のための建築を手掛けたり[5]、最先端の小児がん医療で成果を上げたりするイランの人々の姿は[6]、私たちが普段ニュースを通じて目にする政治的なイラン像とは異なる一面を教えてくれる。古い知恵を慈しみつつ、新たな技術や芸術を模索する彼らの取り組みには、過酷な環境を生き抜くための普遍的な示唆が含まれている。次にソルターニエのドームの足場が外れ、本来の姿を現したとき、その空間にはどのような風が吹き抜けるのか[4]。歴史と現代が交差するイランの歩みに今後も関心が寄せられる。