リード
イランの1週間は、古代と現代が交錯する文化のうねりに満ちていた。7月17日、テヘランのアーザディ・ホテルでは近代・伝統美術のオークションが開かれ、ソフラーブ・セペフリーの絵画が38.5ビリオン・トマン(約3050万円)で落札される熱狂に包まれた[2]。その数日前、ロンドンでは米女優ゼンデイヤがクリストファー・ノーラン監督の新作映画『オデュッセイア』のフォトコールに登場し、耳元で揺れる金細工がイラン北西部の遺跡「ズィーウィーイェ」出土品であることが報じられ、称賛と批判の渦を生んだ[1]。8月にはサラエボ映画祭でアスガー・ファルハディ監督への名誉賞授与が決まり[3]、国際生物学・化学オリンピックでは高校生たちが金メダルを獲得した[4]。遺産と倫理、市場と投資、才能と教育――テヘランの街角からは、世界とつながるイランの今が浮かぶ。
ゼンデイヤの耳元に3000年前のイラン、金細工が世界に投げかけた問い
映画の中で知恵と戦いの女神アテナを演じるゼンデイヤが、ロンドンのフォトコールで選んだ装飾品は、ハリウッドのきらびやかさとは別の、はるかに深い時間を纏っていた。CNNやPeople誌が7月19日までに伝えたところによれば、その耳飾りには紀元前1千年紀、つまり約3000年前のイランの金製メダルが組み込まれている[1]。金地に刻まれた微細な文様は、出土した北西部コルデスターン州のズィーウィーイェ遺跡と結びつく。メディア王国やスキタイ人とゆかりのあるこの要塞跡からは、紀元前7世紀のものとされる精巧な金細工群が見つかっており、ブリタニカ百科事典も「初期イランの貴金属工芸の最高傑作の一つ」と評価する品々だ[1]。これが単なるレッドカーペットの話題で終わらないのは、古代遺物が現代の装飾品として流通することへの倫理的な疑問を突きつけたからだ。学術界やソーシャルメディアでは、文化遺産の商品化や所有権、保存のあり方をめぐる議論が英語圏を中心に広がった[1]。一方で、これほど高度な金細工技術がアケメネス朝ペルシアの興隆より数世紀も前にイランで花開いていた事実そのものに、改めて光が当たっている。オークションや個人コレクションを経た物が映画のプロモーションで使われることで、「歴史を着こなす」ことの意味が、イランの人々の誇りと国際社会の規範の間で改めて問われている。
テヘラン夜の熱狂、絵画に30億円超――知られざるアート投資大国
7月17日の金曜夜、テヘランのパールシアン・アーザディ・ホテルに集まった美術コレクターたちの視線は、一点の絵画に注がれていた。第25回テヘラン・オークション「イラン近代・古典・伝統美術」に出品されたソフラーブ・セペフリーの『High Horizon』だ。27.5ビリオン・トマン(約4130万円)から始まった競りは、会場の熱を帯びたかけ声とともに跳ね上がり、最終的に38.5ビリオン・トマン(約5780万円=1ドル150円換算)でハンマーが落ちた。過去25回のオークション史上最高額である[2]。この夜、80作家による100作品のうち96作品が売れ、総額は464ビリオン・トマン(約6億9600万円)に達した[2]。落札されたセペフリーの作品は、彼が1960年代から取り組み始めた樹木の幹を極端に近接して描く連作の一つとみられる。イラン中部カーシャーン出身のこの画家は、西洋モダニズムと日本のミニマリズムをペルシアの美意識で統合し、見えない部分によって宇宙の神秘を示唆する道教的な世界観をカンヴァスに定着させた[2]。巨額の応酬は、経済制裁下でも止まないイランの富裕層による文化投資の厚みを物語る。美術品が鑑賞物であると同時に、通貨価値の変動や国際送金の制約をかわす資産保全の手段として機能している面も、現地の市場関係者の間ではしばしば指摘される。
ファルハディ監督、サラエボで名誉賞――「日常に潜む深いドラマ」への賛辞
国際映画祭からの知らせは、イランの芸術的威信が依然として健在であることを改めて印象づける。第32回サラエボ映画祭は、8月14日から21日の開催を前に、アスガー・ファルハディ監督に名誉ハート・オブ・サラエボ賞を贈ると7月19日までに発表した[3]。『セールスマン』『別離』でアカデミー賞外国語映画賞を二度受賞した54歳の監督は、2018年に同映画祭のコンペティション審査員長を務めて以来、8年ぶりのサラエボ訪問となる[3]。映画祭ディレクターのヨヴァン・マリヤノヴィッチは声明で、「ファルハディの世界映画における重要性は、いくら強調してもしすぎることはない。彼の卓越した作品群は、最も深遠なドラマがしばしば日常生活のなかに隠れていることを思い出させてくれる」と賛辞を送った[3]。続けて「彼の映画は安易な答えを与えず、より注意深く見つめ、より注意深く耳を傾け、人生の複雑さと向き合うよう私たちを誘う」と述べた。テヘラン大学で演劇を学び、ハロルド・ピンターの沈黙と間の技法を研究したファルハディのまなざしは、イランの社会の襞から普遍的な倫理の葛藤を抽出してきた。サラエボでの回顧上映と授賞式は、ボスニア紛争の記憶がまだ生々しい地で、分断を越える映画の力を確認する場にもなるだろう。
金メダルを量産するイランの高校生、生物学と化学で示した底力
7月の国際科学オリンピックは、イランの若者たちの知性が世界の頂点にあることを数字で示した。リトアニアのヴィリニュスで7月12日から19日にかけて開かれた第37回国際生物学オリンピック(IBO)には約80カ国が参加し、イラン代表はラディン・バヤーニ、モハンマド=レザー・ヴァエズィ、アミール=ホセイン・ノスラティの3人が金メダル、アミール=ホセイン・ヘンマティが銀メダルを獲得した[4]。ウズベキスタンのタシケントで7月10日から19日に行われた第58回国際化学オリンピック(IChO)でも、90カ国・350人超のなかからイラン勢は銀メダル3つ、銅メダル1つを持ち帰った[4]。IBOは遺伝学や生態学などの分野で、持続可能な農業や環境保全といった地球規模の課題に挑む次世代の育成を目的とし、IChOと並んで高校生の科学分野における世界最高峰の競技と位置づけられる。イランのメダルラッシュは、決して偶然ではない。国内には才能を早期に見いだし、集中的に鍛える科学英才教育のシステムがあり、国際大会への派遣前には大学研究者による数カ月の合宿が組まれることが多い。これらのメダリストたちは帰国後、奨学金を得て医科大学や工科大学へ進むケースが多く、国の研究開発を底支えする人材プールとなっている。
日本から見ると
一連のニュースは、日本人が抱きがちなイラン像を揺さぶる。金細工の一件では、古代遺物を現代ファッションに転用する感覚は、日本での正倉院宝物の扱いと比較すると際どい。だが、自国の工芸史への強い誇りが、議論を国際的な場に押し上げるエネルギーにもなっている。アートオークションの高騰は、日本のバブル期の絵画買いを想起させるが、イランのそれは外貨獲得や資産逃避といったより複合的な経済動機をはらんでいるところが異なる。映画監督への恒常的な国際的尊敬と、科学オリンピックでの十代の活躍は、制約の多い社会にあっても個人の才覚が世界で認識される経路が確かに存在することを示す。乾いた高原の風と、ホテルの競売会場に渦巻く熱。その両方に、外からは見えにくいイランの生活者のしたたかさと美意識が息づいている。