リード
7月16日の台北、朝の通勤ラッシュで蒸し暑いMRTの車内。冷房の風も生ぬるく、吊り革につかまる会社員の額には汗が光る。スマホを手にした乗客たちの画面には、前夜から流れ続ける二つのニュースが並んでいた。一つは、立法府で代理母出産を生殖補助法案から外す採決が行われたこと[1]。もう一つは、行政院が若者向けの新たな住宅ローン優遇策を承認したこと[2]。家族の作り方と、家族が暮らす家。その両方を巡る政府の決断が、同じ7月16日に示された。街のカフェでは、台北市の樹木伐採計画を巡り蔣万安市長が市民を告訴すると警告した話題[4]も飛び交い、政策論争の熱気が夏の暑さに拍車をかけている。
生殖法案から代理母が消えた日——台湾の家族観はどこへ向かう
7月16日、立法院の合同委員会は、生殖補助法案から代理母出産の条項を分離する採決を7対2で可決した[1]。与党・民進党が賛成し、台湾人民党は反対、国民党は欠席した[1]。石崇良衛生福利部長は会見で「最も論争の少ない部分から先に進めるべきだ」と述べ、代理母を巡る社会的合意の難しさを認めた[1]。法案は、独身女性や不妊カップル、同性の女性カップルが体外受精を受けることを認める内容で、精子提供者は18〜40歳、卵子提供者は18歳以上と定めている[1]。生まれた子どものために、提供者の一部の非特定個人情報が保管される[1]。会議室では議員たちが無言で手を挙げ、静かな採決が進んだ[1]。法案は今後、合同委員会でさらに審議される[1]。代理母という選択肢が外されたことで、台湾の家族観はどこへ向かうのか。その線引きは、静かに、しかし確実に進んでいる。
歳未満、年収200万元以下——台北の若者を狙う新住宅ローン
同じ7月16日、行政院は若年層の住宅取得を後押しする新たな優遇ローン制度を承認した[2]。対象は50歳未満で、年齢とローン期間の合計が80年を超えないこと。年収200万台湾ドル(約920万円)以下という所得制限も設けられた[2]。地域別に購入価格の上限が定められ、台北市は3500万台湾ドル(約1億6100万円)、新北市や新竹県・市は2500万台湾ドル(約1億1500万円)、その他は2000万台湾ドル(約920万円)となる[2]。金利は当初3年間1.775%に据え置かれ、その後3年かけて段階的に引き上げられる[2]。新婚2年未満の世帯には最大1200万台湾ドル(約5520万円)、子育て世帯には1500万台湾ドル(約6900万円)まで融資額が上乗せされる[2]。制度は8月1日から始まり、6年間の時限措置だ[2]。卓栄泰行政院長は投機防止策の強化を指示したと、李慧芝報道官が明らかにした[2]。台北の不動産屋の店頭には、早速この条件を記したチラシが貼り出され、若いカップルが足を止めて見入る姿が見られたという。住宅価格の高騰に悩む台湾の若者たちにとって、このローンは待望の一手だが、上限価格が実勢とかけ離れているとの不満もくすぶる。
初月黒字、稼働率82%——「Just Sleep」が台北で見せた勢い
シルクスホテルグループは7月16日、デザインホテルブランド「Just Sleep」の拡大を加速すると発表した[3]。6月中旬に開業した「Just Sleep台北中山」が、平均客室単価2500台湾ドル(約1万1500円)で稼働率82%を記録し、初月で黒字化したことが弾みとなった[3]。レージェント台北の呉偉正マネージングディレクターは「この好調なスタートが、拡大計画を加速させる後押しになった」と語った[3]。Just Sleepは台湾と日本で10軒以上を展開し、1100室超を運営。グループ全体の収入の6.2%を占めるが、その比率は今後さらに高まる見通しだ[3]。宿泊客の約半数は台湾人で、香港やマカオ、日本、韓国からの旅行者も多い[3]。来年には新北市林口区と大阪に新規開業を予定しており、ラグジュアリーからミッドスケールまで幅広く取り込む戦略が鮮明になった[3]。台北中山のホテルでは、ロビーに漂うアロマの香りと、地元アーティストの作品が飾られた壁が、旅の疲れを癒やす空間を演出しているという[3]。旅行需要の回復と、ライフスタイル志向の高まりが、このブランドの成長を支えている。
樹木伐採は国家安全保障の危機か——台北市長が市民を訴えるとき
台北市の大規模な樹木伐採計画に対し、蔣万安市長は「法に従って処理する」と述べ、社会秩序維持法第63条を持ち出して市民を告訴する構えを見せた[4]。同法は戒厳令時代の名残で、「公共の秩序と平和を損なうのに十分な方法で噂を広める」行為を罰する規定を含む[4]。7月17日付の台北タイムズに掲載された意見記事で、筆者の潘翰疆氏は「この規定は法的明確性を欠き、市民を威嚇することで市政への公的監視を損なう」と批判した[4]。樹木伐採が国家安全保障上の脆弱性を生むという懸念は、樹木が自然の遮蔽物となり、敵対的なドローン監視や精密攻撃に対する防御力を高めるという軍事的視点に基づく[4]。一方で、潘氏は気候変動への適応と都市のレジリエンス強化のためには、都市森林の保護が不可欠だと訴える[4]。台北の夏は年々厳しさを増し、アスファルトからの照り返しが肌を刺すようになった。国連は都市部の気温上昇が世界平均の2倍に達する可能性を警告しており、緑地の喪失はヒートアイランド現象を加速させる[4]。安全保障と環境保護のジレンマを前に、台北の街路樹は静かにその存在意義を問われている。
背景を少し
台湾政府は住宅政策を強化している。7月16日に承認された若者向けローンに加え、行政院は都市更新(都市再開発)時に、婚育住宅として社会住宅を無償提供するデベロッパーに対し、建築容積率を最大2倍まで優遇する法案も通過させた[6]。これは、新婚世帯や子育て世帯向けの住宅供給を増やし、少子化対策と住宅問題を同時に解決しようとする狙いがある。台湾の住宅価格はこの10年で高騰し、特に台北では平均的な勤労世帯が住宅を購入することが困難になっている。政府は投機抑制と供給拡大の両面から対策を急いでいるが、今回のローン制度でも価格上限が実勢より低いとの批判があり、実効性には疑問の声も上がる。容積率ボーナスという手法は、日本の都市再生制度にも似ており、民間活力を引き出す意図がうかがえる。
日本から見ると
台湾の生殖補助法案から代理母が外された判断は、日本でも長年議論が止まっている代理母出産の法制化を考える上で示唆的だ。日本では代理母を認める法律はなく、学術団体のガイドラインで事実上禁止されている。台湾が「論争の少ない部分から」と割り切った姿勢は、多様な家族観が衝突する中での現実的な一歩と言える。住宅ローン優遇策も、日本と共通する悩みを映す。日本でも住宅ローン減税や子育て世帯向けの優遇があるが、台湾のように年齢とローン期間の合計に上限を設ける発想は新鮮だ。高齢化が進む日本では、定年後の返済負担をどうするかという課題があり、台湾の制度は一つの参考になるかもしれない。都市の緑地を巡る安全保障と環境のジレンマは、日本でも基地周辺の森林管理や再開発の場面で起こりうる。台湾の事例は、対岸の火事ではなく、同じ少子高齢化・都市化の道を歩む日本にとって、政策の実験場を覗くような興味深さがある。