リード
初夏の陽気に包まれた6月28日、河南省鄭州市にある大学のサッカー場。試合の合間に、一人の8歳の少年が観客の前に進み出ました。少年の名は春春(チュンチュン)君。彼は照れることなく、堂々とした声でこう切り出しました。「僕のお母さんはひどい火傷を負いました。僕たちはリサイクル品を集めて、1足5元(約110円)でスリッパを売っています。もしゴミがあれば、僕のお母さんのところへ持ってきてください」[1]。この「小さな男」の健気な営業活動は、瞬く間に中国のSNSを駆け巡りました。経済成長の陰で、離婚や事故という不運に見舞われながらも、リサイクル業で再起を図る母とそれを支える息子。そこには、今の中国の庶民が抱く「家族の絆」への強い共感と、格差社会を生き抜く切実な熱量があります。
「AIは僕らのコーチ」香港エリート学生の超効率学習術
学歴社会の頂点に立つ香港の学生たちの間では、AIとの付き合い方が劇的な変化を遂げています。7月6日に発表された国際バカロレア(IB)試験の結果で、満点の45点を獲得した香港のトップ層たちは、AIを「カンニングの道具」ではなく「24時間対応のコーチ」として活用していました[2]。 抜萃男書院(DBS)の卒業生で、ケンブリッジ大学で工学を学ぶ予定のルーカス・チャベス・モカンさんは、英語の教師からAIの倫理的な使い方を教わったといいます。「先生が非常に詳細な評価基準(ルーブリック)を書いてくれたので、AIもそれを理解できました。先生が不在の時でも、僕らのエッセイに対して正確なフィードバックをAIから得ることができたんです」[2]。今年のIB試験では、香港内の17校から少なくとも73人の満点合格者が誕生しました[2]。彼らに共通するのは、AIを使いこなしつつ、睡眠や運動といった健康的なルーティンを維持する「スマートな努力」です。テクノロジーを敵視せず、自らのパフォーマンスを最大化するためのパートナーとする姿勢が、香港の教育現場に定着しつつあります。
スイスの精密さと香港の熱量、皿の上で交わる「融合」の記憶
香港の食文化に新たな風を吹き込んでいるのが、俳優アンソニー・ウォン(黄秋生)に瓜二つと評判のシェフ、ジャック・カギ氏です。スイス人の父と中国人の母を持ち、香港で生まれ育った彼は、自身のアイデンティティを「フュージョンの世界そのもの」と語ります[3]。 カギ氏が料理ディレクターに就任したコーズウェイベイのレストラン「CulinArt 1862」では、彼の複雑なバックグラウンドが皿の上に表現されています。1960年代から70年代にかけて、スイスのホスピタリティ専門家が香港に押し寄せた「黄金時代」に、ホテル業界で働いていた父の背中を見て育ったカギ氏。厨房では広東語、英語、ドイツ語を自在に操り、ジョークを飛ばします[3]。「自分の人生経験と、中国での仕事経験に基づき、個人的な歴史を祝うようなメニューを作りたい」[3]。彼の料理は、単なる異文化の混ぜ合わせではなく、東洋と西洋が激しく混ざり合ってきた香港という街の記憶そのものなのです。
VRで「健康状態」を削り合う、アジア大会の新競技テコンドー
スポーツの定義もまた、デジタル技術によって書き換えられようとしています。VR(仮想現実)ヘッドセットを装着し、3Dアリーナで戦う「バーチャル・テコンドー」が、アジア大会の正式種目としてデビューを飾ります[5]。 ベトナムの国内チャンピオンであるグエン・タイン・ヒエン・リンさん(21)は、2024年に初めてこの競技に触れた際、「ただ空中で蹴りを入れているだけだった」と戸惑いを隠せませんでした[5]。しかし、それから2年。彼女はマレーシアで開催された大会で金メダルを獲得するまでに成長しました[5]。選手は背中や太もも、脛にモーションセンサーを装着し、自分の動きでアバターを操作します。物理的な接触はありませんが、素早く的確な蹴りが決まれば、相手の「バーチャル・ヘルスバー」が削られていきます。年齢や体重、性別による区分がなく、誰もが同じ土俵で戦えるこの競技は、デジタルネイティブな若者たちを惹きつける「未来のスポーツ」として注目を集めています。
背景を少し:福を呼ぶ「大阿福」に隠された仏教の影
中国で古くから愛される「大阿福(ダ・ア・フ)」という泥人形があります。ふっくらした頬に、丸々とした体つき。一見すると単なる愛らしい縁起物ですが、近年の研究でその意外なルーツが明らかになりました。学術誌『Nature』に掲載された研究によると、この人形は単なる民芸品ではなく、仏教のシンボル、具体的には仏陀の姿を統合した「機能的な肖像画」であるというのです[4]。 明代(1368-1644年)に江蘇省無錫市の恵山で始まったとされるこの泥人形は、もともとは農閑期の農民が副収入を得るために作り、縁日の寺市で子供向けに売られていたものでした[4]。清代(1644-1912年)には「国宝」級の扱いを受け、重要な輸出文化財へと発展しました。人々の幸福への願いと宗教的な儀礼、そして社会的な感情が、この小さな泥人形の中に凝縮されているのです[4]。
日本から見ると
今週のニュースを眺めると、中国・香港社会の「適応力の高さ」に驚かされます。8歳の少年が母の商売を堂々と宣伝する姿は、日本では「子供にそんなことをさせるなんて」と議論になるかもしれませんが、中国では自立心と親孝行の美徳として称賛されます。また、AIを受験の味方に変える香港の学生たちの柔軟性は、生成AIの利用に慎重な日本の教育現場とは対照的です。一方で、マレーシアを訪れた中国人観光客が「中国の国旗がない」とホテルに詰め寄り、SNSで「特権意識だ」と批判を浴びた騒動も起きています[6]。この騒動は、ワールドカップ出場国のみの国旗が掲げられていたという誤解から生じたものでしたが、自国の常識を他国に押し付ける危うさは、観光大国を目指す日本にとっても他山の石と言えるでしょう。伝統を重んじつつも、最新技術や厳しい現実に即座に対応していく彼らのバイタリティは、停滞感の漂う日本の日常に新鮮な刺激を与えてくれます。