リード
ハンガリー議会は8月11日、元最高裁判所長官のアンドラーシュ・バカ氏を新大統領に選出した[1][5][9]。賛成140、反対6で、与党ティサ党の候補がそのまま信任された形だ[1][3][5]。バカ氏は2011年、当時のオルバン政権が進めた司法改革を批判したことを理由に最高裁長官を解任された経歴を持つ[2][9][16]。今回の選出は、4月の総選挙でオルバン氏のフィデス党を破ったマジャール首相が、旧政権の「権力の砦を解体する」と宣言してきた流れの延長線上にある[1][10]。各国の報道は、この人事を「法の支配の回復」と位置づけるものから、議会ボイコットや憲法改正の手続きを問題視するものまで、評価のベクトルが大きく割れた[4][6][12]。
各国が一致する事実
17カ国の報道に共通する事実は、投票結果とバカ氏の経歴に集約される。議会の秘密投票でバカ氏が140票を獲得し、反対6票、棄権はゼロだった点は、ブラジルのvalor.globo.com[1]、フィンランドのyle.fi[8]、ラトビアのdelfi.lv[13]、ルーマニアのdigi24.ro[21]などで一致している。バカ氏が73歳で、1991年から2008年まで欧州人権裁判所(ECHR)判事を務め、2009年にハンガリー最高裁長官に就任した後に2011年または2012年に解任されたことも、スイスのnzz.ch[2]、英国BBC[9]、オランダのnos.nl[16]、ポルトガルのrtp.pt[19]が同じ経歴を伝えている。解任の理由はオルバン政権による裁判官定年の引き下げへの批判だったという説明も各国で共通する[13][14][18][22]。投票をフィデス党がボイコットした事実も、ハンガリー国内メディアのindex.hu[11]やorigo.hu[12]、ドイツのdw.com[5]、セルビアのpolitika.rs[22]が報じている[5][11][12][22]。さらに、バカ氏の前任者タマーシュ・シュヨク氏が7月20日に任期を終えたのは、7月13日に議会が可決した憲法修正第17条によるものだったという経緯も、クロアチアのjutarnji.hr[10]やセルビアのpolitika.rs[22]、ウクライナのpravda.com.ua[24]が明記している[10][22][24]。
問題定義の違い
各国の報道が何を「問題」と見なしているかは、三つの系統に分かれる。第一は、オルバン前政権による国家の私物化と三権分立の欠如を問題視する立場だ。ブラジルのvalor.globo.comは「ある一党が国家を掌握し、抑制と均衡の機能するシステムが存在しなかった」というバカ氏の初演説を引用して問題を定義する[1]。カタールのaljazeera.comも「オルバン前政権が築いた政治権力構造と司法の独立性侵害」を解体すべき対象と位置づける[20]。第二は、新政権の手法そのものを問題視する立場である。ハンガリー国内メディアorigo.huは、憲法修正による前大統領の任期終了を「憲法違反であり法の支配を侵害する」とし、フィデス党の議会ボイコットを制度の正当性を損なう行為と報じた[12]。ドイツのzeit.deは「民主主義者たちは民主主義を回復するために反民主主義的な手法を用いてよいのか」という問いを記事の核心に据える[6]。第三は、ラトビアのdelfi.lvのように、オルバン時代の憲法を新たな基本法に置き換える憲法刷新プロセス自体を問題として捉える報道である[13]。
因果と責任の描き方
原因と責任の所在に関する描き方も各国で異なる。ブラジルのvalor.globo.comは、マジャール首相がオルバン氏の権力基盤を意図的に解体してきた一連の動きの結果としてバカ氏の選出を説明する[1]。チリのbiobiochile.clも「政権交代と、司法の独立を守ろうとして解任されたバカ氏の選出がオルバン時代の終焉をもたらした」という因果で語る[3]。一方、ハンガリー国内のorigo.huは、マジャール首相が選挙戦中から「シュヨク大統領はオルバンの傀儡だ」と公言して解任を公約していた事実を強調し、今回の人事を政治的な予定調和として描く[12]。フィンランドのis.fiは、オルバン氏が「選挙で敗北しても体制が生き残るように体制設計した」というバカ氏のBBCへの過去発言[7]を紹介し、強固な権威主義体制が今回の交代を不可避にしたと分析している[7]。オランダのnos.nlは、2016年に欧州人権裁判所がバカ氏の解任を「権利侵害」と判断した事実を添えることで、オルバン政権側に根本的な原因があったと示唆する[16]。
道徳的評価と引用元の違い
道徳的評価の軸足は、誰の声を引用するかによって明確に分岐している。ポルトガルのobservador.ptは、バカ氏の初演説から「我々は復讐の上に新しいハンガリーを築くことはできない」という一節を引き、新政権を「抑制と正義」の側に置く[18]。英国BBCも同じ演説を引用しつつ、フィデス党がティサ党政権を「暴政」と呼んでいることを並記し、両陣営の評価を対照させる[9]。ハンガリー国内メディアの間でも評価の断層は深い。index.huは議事進行を淡々と伝える一方で[11]、origo.huは公的監視活動で知られるテーニ・イシュトバーン氏が欧州議会請願委員会に提出した異議申し立てを大きく取り上げ、「一候補のみの選出とフィデス党のボイコットが大統領制度の正統性を損なう」という法的批判を前面に出した[12]。ウクライナのpravda.com.uaは、ゼレンスキー大統領がSNSに投稿した「ハンガリーの変革にとって重要な一歩だ」という祝意[25]を引用し、地政学的な文脈から肯定的評価を与える[25]。スイスのnzz.chはティサ党の声明から「バカ氏は政府多数派に対するカウンターウェイトとして機能する」という一節を紹介し、権力分立の回復装置として評価する[2]。こうした引用元の選択の違いが、同じ出来事に対する読者の受け止め方を左右している。
欠けている視点
一連の報道に共通して抜け落ちている視点がある。第一に、フィデス党支持層の生の声である。ブラジルのvalor.globo.comやチリのbiobiochile.clは、フィデス党が投票をボイコットした事実を伝えるものの[1][3]、支持者がなぜこの事態を受容できないのか、あるいはどの程度の規模で新政権に反発しているのかという現場の声を拾っていない。第二に、憲法修正第17条の具体的な法的根拠を巡る議論の欠落である。origo.huが紹介したテーニ・イシュトバーン氏の異議申し立て[12]を除けば、各国報道は「憲法修正によって前大統領の任期を終了させた」という事実を記述するにとどまり、それがハンガリーの憲法体系の中でどのような法的問題をはらむのかについて踏み込んだ検証を行っていない。第三に、ハンガリー国内の世論調査や有権者の受け止めを示すデータがほぼ登場しない点である。報道の多くは政治エリート間の権力移行として出来事を描くが、4月の総選挙でティサ党に投票した有権者が、大統領選出のプロセスをどう評価しているのかを定量的に伝えるメディアはなかった。政権交代の正統性を論じる上で、エリートの言説だけでなく有権者の意識を照らす視点が不可欠だが、今回の国際報道はその点で共通の空白を抱えている。