リード
8月に入ったパキスタンで、人々の関心は二つの「流れ」に注がれている。一つは、隣国インドから国境を越えて流れ込むチェナブ川の行方だ。インドがその水の一部をビアス川流域へ転用する計画に、パキスタンは神経をとがらせている。もう一つは、カリブ海の島国トリニダード・トバゴからの中継に映るクリケットの熱戦である。国土を潤す母なる川への危機感と、遠く離れた地で戦う代表チームへの熱狂。一見、無関係なその二つは「われわれのもの」を取り巻く不確かさへの反応という点で、この国の夏の空気を静かに支配している。
チェナブ、水路が消せない境界線
「チェナブは地図上の一本の線などではない」。英字紙ジオ・ニュースは、インドが進める水利計画に対するパキスタンの懸念を、そう切り出した[1]。問題の核心は、ヒマラヤ山脈の雪解け水を集めてパキスタンへと流れ込むチェナブ川を、インドがトンネルや運河でビアス川水系に引き込もうとしている点にある。事実、この川は1960年に調印されたインダス水条約で、パキスタンに利用権がある「西方河川」の一つに分類されている。インドが一方的にその流れを変えることは、ジオ・ニュースの論調によれば「山をくり抜いて条約を骨抜きにする」行為に他ならない[1]。しかし、パキスタン国内の議論は、単なる条約違反の指摘に留まっていない。より強く打ち出されているのは、環境と安全にかかわる科学的な異議だ。「チェナブ・ビアス間の転用計画は、設計放流量や年間転用水量、トンネルの地質調査、氷河湖決壊洪水のリスク評価といったデータの全面開示なしに進めるべきではない」とジオ・ニュースは主張する[1]。ここには、流域を単なる水の立方メートルとして捉えるのではなく、堆積物や記憶、そしてリスクをも運ぶ「文明の回廊」[1]と見なす感性が透ける。ある国にとっての「余剰水」が、別の国にとっては作付け期を支え、帯水層を満たし、三角州の生態系を守る生命線である[1]。この視点は、地図上の境界線がいかに無力かを物語っている。
グリーブスの一打、トリニダードの雨を払う
チェナブ川の緊張から遠く離れたトリニダード・トバゴのポートオブスペイン。クイーンズ・パーク・オーバルのピッチでは、8月2日、パキスタンと西インド諸島による第2次テストマッチが始まった[2]。試合は雨による中断で短縮されたものの、スタンドを埋めた観客の熱気は薄れない。初日の主役は、西インド諸島のジャスティン・グリーブスだ。厳しい場面で、グリーブスは64点の無敗を記録した[2][5]。3番手で91点、4番手でチームが崩れ始めた中盤、彼はロストン・チェイスと66点の無失点パートナーシップを築き、チームを5ウィケット、239点まで持ち直させる[2][6]。地元メディアはその打撃を「粘り強い」と称えた[4]。国際的な評価を得た彼の活躍だが、パキスタンから見ると事情は少々複雑だ。なぜなら、自軍のババール・アザーム主将が、グリーブスが50点に達した直後、サジド・カーンの投球で生じた絶好のキャッチを落球するという痛恨のミスを犯しているからである[2]。加えて、前回の第1テストで最も優れていた投手モハマド・アッバスを、パキスタンはなぜか先発から外していた[2]。ジオ・ニュースは、この采配をフィールド内外における「不可解な意思決定」[2]と評している。初日終了時、グリーブスは足の負傷による痛みと戦っていたという[2]。それでも食い下がる相手の姿は、パキスタンのファンにとっては、喜びであると同時に、自軍の選択への歯がゆさを感じさせるものだった。
背景を少し
この二つの話題は、パキスタンの異なる顔を映している。インダス水条約は、印パ分離独立からわずか13年後の1960年に、世界銀行の仲介で調印された。この稀有な合意は、インドに東側の三河川、パキスタンに西側の三河川の水利用を認め、幾度かの戦争の緊張にも耐えてきた。チェナブ川が属する「西方河川」は、パキスタンの農業と生活を支えるまさに生命線であり、その流量はコメや綿花といった主力作物の収穫高に直結する。一方、クリケットにおける両国の対戦は、20世紀半ばから続く。特にパキスタンと西インド諸島の対決は、1980年代の激闘などを通じて、クリケット史に残る名勝負を数多く生んできた。ウィケットの上で繰り広げられる駆け引きは、多くのパキスタン人にとって単なるスポーツの枠を超えた、国家的な物語の一部である。
日本から見ると
水とスポーツ。どちらも日本の日常を形作る要素だが、異なるのはその「距離感」かもしれない。国内の水資源を巡る議論はあっても、上流の国による川のつけ替えが、食料生産の根幹を揺るがす直接的な恐怖として実感されることは稀だ。クリケットもまた、馴染みのない日本人には、ポートオブスペインのスタンドを埋める熱狂の理由のすべてを想像するのは難しい。しかし、自国の投手を外す不可解な采配に一喜一憂し、遠いカリブの地での雨模様を気にかけ、相手チームの英雄の怪我の具合すら結果を左右する重大事として受け止める。その振る舞いの一つ一つに、はるか遠くの我が事として遠征を追いかける「自分のもの」への強い同一化を見る思いがする。チェナブの水を守ろうとする姿勢も、クリケットの一球に託す感情も、同じ根から生えているのだろう。その根の強さが、8月のパキスタンの、少し複雑な熱を帯びた空気を形作っている。