リード
アメリカのトランプ大統領は7月20日、カナダからの輸入品の大部分に対して50%の追加関税を課す大統領令に署名した[2][6]。この決定は、カナダが自動車、乳製品、酒類などの分野でアメリカ企業を不当に差別しているという主張に基づく[1][3]。今回の措置は、1930年関税法第338条という、これまで使用されたことのない法的根拠に基づいている[1][8]。現在、両国は北米自由貿易協定(USMCA)の更新に向けた交渉の最中にあり、今回の決定が貿易摩擦をさらに激化させる懸念が生じている[5]。
何が起きたか
2026年7月20日、ドナルド・トランプ米大統領は、カナダからの輸入品の多くに50%の関税を課す大統領令に署名した[2][6]。この措置は、カナダがアメリカの自動車産業、乳製品、および酒類産業に対して差別的な政策をとっていることを理由としている[1][3][4]。具体的には、カナダによる報復措置への対抗措置としての側面も指摘されており、カナダは中国と同様に、アメリカの以前の関税措置に対して報復を行ってきた数少ない国の一つとされている[1][3]。今回の関税措置は、2026年8月19日から30日間の初期期間で発動される予定である[6]。対象となる品目には、電気機器や家具、衣料品、さらにはこれまでUSMCAの枠組みで免税されていた品目も含まれる[5][6]。一方で、エネルギー、カリウム、魚介類、および重要鉱物については、戦略的観点から今回の関税対象から除外された[1][2][3]。また、アメリカ政府は、第三国を経由した迂回輸出によって関税を逃れる行為を防ぐため、再輸出される物品に対して40%の追加関税を課す新たな制裁も盛り込んだ[2]。カナダのマーク・カーニー首相は、今回の措置はUSMCAに違反するものであると批判し、カナダ側も以前からアメリカの単独行動に対して同様の報復措置をとってきたと主張している[5]。
研究が示してきたこと
貿易政策の不確実性が経済に与える影響について、2019年のDario Caldara、Matteo Iacoviello、Patrick Molligoによる研究(Journal of Monetary Economics掲載)は、予期せぬ貿易政策の不確実性の増大がアメリカ経済に悪影響を及ぼすことを示している[9]。同研究は、ニュース報道や企業の決算発表、関税率などの指標を用いて不確実性を測定し、不確実性が高まると企業の設備投資が減少することを明らかにしている[9]。また、貿易戦争の影響については、2022年のPablo FajgelbaumとAmit Khandelwalの研究(Annual Review of Economics掲載)が、2018年にアメリカが開始した中国との貿易戦争を事例に、その影響を分析している[10]。さらに、関税削減による経済的厚生の変化については、2014年のLorenzo CaliendoとFernando Parroの研究(The Review of Economic Studies掲載)が、NAFTA(北米自由貿易協定)の事例を用いて定量化を行っている[11]。同研究によれば、関税の削減はメキシコの厚生を1.31%向上させ、アメリカの厚生を0.08%向上させる一方で、カナダの厚生は0.06%低下させると算出されている[11]。この研究は、中間財の取引や産業間の結びつきを考慮することが、関税による厚生の変化を正確に算出する上で重要であると指摘している[11]。
ニュースを研究で読み直す
今回のトランプ政権による対カナダ関税の導入は、学術研究が示唆する経済的リスクを現実のものとしつつある。まず、2019年のCaldaraらによる研究[9]は、関税率の上昇やニュースによる不確実性の増大が企業の投資を抑制することを示している。今回の措置は、USMCAの更新交渉という極めて不透明な状況下で行われており、カナダおよびアメリカ双方の企業にとって、将来の投資判断を困難にする要因となる[1][9]。また、2014年のCaliendoとParroの研究[11]は、関税の変更が国ごとに異なる厚生の変化をもたらすことを示している。同研究では、関税の削減がカナダの厚生を低下させる可能性を示唆しているが、今回の事象は逆にカナダへの関税を大幅に引き上げるものであり、カナダ側の経済厚生をさらに圧迫する方向に働くことが予測される[11]。さらに、今回の措置が「これまで使用されたことのない」法的根拠に基づいている点は、貿易政策の予測可能性を著しく低下させる。Caldaraら[9]が指摘した「予期せぬ変化」が、今回のような形で具体化しており、経済活動の停滞を招くリスクを孕んでいる。
残された問い
今回の事象は、既存の研究がまだ十分に答えを出せていない新たな問いを投げかけている。第一に、今回のように「戦略的品目(エネルギーや重要鉱物)」を意図的に除外した限定的な関税導入が、経済全体の不確実性や投資行動にどのような特有の影響を与えるかという点である。Caldaraら[9]の研究は不確実性の増大を扱っているが、特定のセクターを保護しつつ他を攻撃するような、政治的に調整された関税措置の影響については詳細な分析が求められる。第二に、USMCAのような広範な地域経済統合の枠組みが、今回のような単独の行政命令によってどこまで実効性を維持できるかという問題である。CaliendoとParro[11]の研究は関税削減による厚生向上を分析しているが、既存の協定が一方的に無視されるような「協定の形骸化」が起きた場合、地域内の産業間連携やサプライチェーンにどのような構造的変化をもたらすのかは、今後の重要な研究課題となる。
日本から見ると
アメリカがカナダに対して行った今回の強硬な関税措置は、日本の産業界にとっても無視できない意味を持つ。特に、アメリカが「重要鉱物」を関税の対象外としたことは、サプライチェーンの安定化を重視する日本の製造業にとって、今後の貿易政策の動向を占う重要な指標となる[1][2]。また、アメリカが「第三国を経由した迂回輸出」に対して追加関税を課す措置を強化したことは、複雑化したグローバル・サプライチェーンの中で、日本企業がどのように製品を流通させているかという点において、新たなコンプライアンス上のリスクを提示している[2]。北米市場を重要な拠点とする日本の製造業や輸出企業は、単なる関税率の変動だけでなく、アメリカが用いる法的根拠や、地域協定(USMCA)の枠組みがどのように変容していくのかを注視する必要がある。