リード
照りつける夏の太陽の下、ハンガリーの人々は今、二つの「熱気」の狭間にいます。一つは、長年「安近短」の定番だった隣国クロアチアの海辺で直面している、ため息の出るような物価の高騰です。そしてもう一つは、自らのルーツであるアジア系遊牧民の血を呼び覚ます、広大な草原での熱い祭典への期待です。ヨーロッパという枠組みの中にありながら、独自の歴史観と文化を抱き続けるこの国の人々が、2026年の夏をどのように楽しみ、何に心を揺さぶられているのか、現地の暮らしの空気をお届けします。
「安近短」の海が消えた——アドリア海バカンスの物価高に悩む庶民の哀愁
ハンガリー人にとって夏のバカンスといえば、隣国クロアチアのアドリア海へ車を走らせるのが定番の過ごし方でした。しかし2026年の今、その常識が大きく覆っています。クロアチアが欧州連合(EU)への統合を進めた結果、現地の価格水準は西欧並みに上昇し、かつての「財布に優しい海」は完全にプレミアムな目的地へと変貌を遂げました[2]。この急激な変化は、ハンガリーの旅行者たちに強い「物価ショック」を与えています[2]。かつては自家用車のトランクに、自宅から持参した食材や飲み物を詰めたクーラーボックスを載せて出かけるのが、ハンガリー流の節約旅行のスタイルでした[2]。しかし現在、そうした「クーラーボックスの時代」はほぼ終焉を迎え、旅行者の多くは現地のスーパーで食材を買い、地元のレストランで食事をするスタイルへと移行しています[2]。実際に、クロアチア・イストリア半島の飲食店では、前年比で約15%も収入が増加している店舗があるなど、観光消費は活発です[2]。一方で、観光地化の波は容赦ありません。歴史ある旧市街の駐車場では、1時間の駐車料金が10ユーロ(約1,700円)に達することもあり、駐車違反をすれば10万フォリント(約41,000円)を超える厳しい罰金が科されるという罠も潜んでいます[2]。現地では新規店舗の乱立による競争激化や、猛烈な酷暑によって日中の旧市街の客足が伸び悩むといった課題も生じていますが、書き入れ時の夏シーズン中に価格が下がる見込みはまったくありません[2]。手軽に行けたはずの青い海が遠い存在になりつつある現実に、ハンガリーの庶民は夏の哀愁を感じています。
ヨーロッパの真ん中で「アジアの血」が騒ぐ——部族祭典「クルルタイ」の熱気
海への旅が高級化する一方で、ハンガリー国内では自らのアイデンティティを再確認する熱いイベントの準備が着々と進んでいます。2026年8月、南部ブガツの広大な草原を舞台に、ハンガリー最大の伝統祭典「クルルタイ(マジャル部族集会)」が開催されます[1]。ハンガリー人は、ヨーロッパに位置しながらも、そのルーツをアジア系の遊牧民族であるフン族やマジャル人に求めてきたユニークな歴史観を持っています[1]。ハンガリー・トゥラン財団が主催するこの3日間の祭典は、フンやテュルクの精神を受け継ぐ諸民族が集う、世界最大規模の文化交流の場です[1]。2026年は20を超える友好国や地域から代表団が参加し、50以上のプログラムが予定されています[1]。カルパティア盆地からは100以上のグループ、2,000人を超える騎馬・歩兵の伝統保存活動家が集結します[1]。草原に立ち並ぶ無数の巨大なゲル(ユルト)の群れは圧巻の一言で、そこでは伝統工芸の実演やバザールが繰り広げられます[1]。2026年の新たな試みとして、弓を引く草原の民の古代の暮らしを再現した壮大なライブパフォーマンスや、乗馬した伝統保存家たちが多数参加する征服王朝時代の華麗な婚礼儀式の再現が予定されています[1]。太鼓の音が響き、馬の蹄の音が地響きを立てる中、大人から子どもまでが一体となって数千年前の先祖の暮らしに思いを馳せます。この大規模な祭典はすべて無料で一般公開されており、自国とアジアを結ぶ絆を体感しようと、多くの家族連れがブガツの草原を目指します[1]。
伝説のバンド「オメガ」のDNAを継ぐ——娘が歌う『真珠の髪の少女』に沸く音楽界
ハンガリー人の心を揺さぶっているのは、草原の鼓動だけではありません。この国のロック黄金期を築いた伝説的バンド「オメガ」の魂が、新たな世代へと受け継がれ、音楽界が沸き立っています。オメガの不世出のボーカリストであり、2021年に世を去ったコボシュ・ヤーノシュの実娘、コボシュ・レーナが、父たちの代表曲である名曲『真珠の髪の少女(Gyöngyhajú lány)』をカバーし、歌手として本格的な一歩を踏み出しました[3]。この曲は、哀愁を帯びた美しいメロディが特徴で、かつて日本でもカバーされ、世界中でサンプリングされてきたハンガリーが世界に誇る国民的遺産です。2026年7月16日の木曜日に予定されているビデオクリップのプレミア公開に先立ち、メディアの取材に応じたレーナの母親でありヤーノシュの未亡人であるジョーカは、娘への深い愛情と、芸能界という厳しい世界へ送り出す不安を率直に語りました[3]。「もちろん心配です。母親として子どもを心配するのは義務ですし、彼女は女の子ですからなおさらです。でも、レーナは非常に聡明な子なので、その知性が彼女をこの業界の荒波から守ってくれると信じています」と、娘への信頼を口にしています[3]。ジョーカによれば、レーナは「凄まじいまでの完璧主義」という点で、父親のヤーノシュと生き写しだといいます[3]。自分で決めた目標は、どれほど困難であっても何度も挑戦して必ず成し遂げる強さを持っています[3]。新しく生まれ変わった『真珠の髪の少女』のビデオクリップには、在りし日のコボシュ・ヤーノシュ本人の映像も登場し、世代を超えた音楽の絆が描かれています[3]。名曲のDNAが今、若い歌声によって現代に蘇ろうとしています。
日本から見ると
物価高に悩むバカンスの風景や、独自の歴史観に基づく草原の祭典、そして世代を超えて愛されるロックの遺産。これらは一見バラバラの話題のようですが、どれもハンガリーの人々が「自分たちは何者か」を見つめ直す姿と重なっています。日本でも、かつて気軽に楽しめた海外旅行や国内の観光地が、インバウンド需要や物価高によって「手の届きにくい場所」になりつつある現状があり、ハンガリーの人々がアドリア海の高騰にため息をつく姿には強い共感を覚えます。一方で、ヨーロッパというキリスト教・西欧文化のただ中にありながら、自らのアジア的な遊牧民のルーツを誇らしげに祝い、数千頭の馬を走らせるハンガリーの姿は、島国で独自の伝統を育んできた日本とはまた異なる、ダイナミックな歴史のロマンを感じさせます。親から子へと受け継がれる名曲のメロディのように、彼らは変わりゆく厳しい経済環境の中でも、変わらない自国の文化や絆を大切に守りながら、この熱い夏をたくましく生き抜いています。