リード
南半球の冬が終わりに近づくウルグアイ。首都モンテビデオから東へ車で約1時間、人口およそ1万人の静かな田舎町タラでは、8月も深緑の草原を吹き抜ける風が、ある小さな工房の甘い香りを運んでいく[1]。この町に2022年頃に移り住んだレオナルド・ブラボが、ウルグアイの大地の味を閉じ込めたアルファホールを焼き始めたのだ。同じ頃、隣国アルゼンチンからモンテビデオへ移り住んだジャスミン・リッカは、共同工房でモザイクテーブルを制作し始めていた[2]。また、首都近郊のビーチ沿いでは、自然を求める人々の流れが新たな投資を呼び込み、街の風景を塗り替えている[3]。大きな事件ではない。しかし、個人のささやかな意志の積み重ねが、この国の新しい日常のかたちを静かに、しかし確かに彫り刻んでいる。
祖父の記憶とタンニンの融合——職人がアルファホールに託す風土
「常にあの香りの記憶があるんだ」。レオナルド・ブラボにとって、アルファホールとは郷愁そのものだ。2歳でアルゼンチンから母と移住した彼は、夏休みに訪れた祖父のパン屋で嗅いだ、小麦粉と砂糖が焼ける甘い匂いを決して忘れなかった[1]。大人になり、物流や研究所で勤務した彼は、その几帳面さを「手順と計量がすべて」という製菓の世界に重ね合わせた[1]。しかし人生を変えたのは、2022年頃に妻ロシオと見つけたタラの地だった。「この場所に心を奪われた。もう離れたくない」とブラボは語る[1]。2023年にモンテビデオの研究所を辞め、アルファホール職人としての道を歩み始めた。彼の作る菓子はひと味違う。カナリア諸島からの移民がもたらした穀物「ゴフィオ」や、ウルグアイが誇る赤ワイン用ブドウ品種「タンニット」、地ビールまでも生地やフィリングに練り込む[1]。伝統菓子が、まさにこの国の風土を纏い始めている。消費者は、単なる郷愁ではなく、明確な土地の味を手に取るようになった。タラという小さな町の、風と土の記憶が、アルファホールという器を得て、人々の午後のお茶の時間に届き始めている。
愛と静けさを選び、モザイクに生きる越境作家
「あなたは自分の夢を追いなさい。私がなんとかするから」。ジャスミン・リッカ(40)は、夫で俳優のマウリシオ・ゴンサレスがウルグアイの国立喜劇団のオーディションに合格した時、ためらうことなくブエノスアイレスからモンテビデオ行きの選択をした[2]。彼女自身も薬剤師の資格を持つプロフェッショナルだが、胸にはアーティストとして生きたいという熱があった。「ウルグアイには最初の瞬間から魅了された。もっと静かなライフスタイルに、ずっと憧れていたから」とリッカは振り返る[2]。当初は医薬品会社に勤めたものの、制作時間が取れず1年で退職。転機は、トレス・クルセス地区にある共同工房「タジェール・ホック(Hocquart 2235)」との出会いだった。家賃を払い専用スペースを借りるこの場所で、彼女は制作に没頭できる環境と気の合う仲間を得た。彼女の手がける色鮮やかなモザイクのテーブルは、やがてソーシャルメディアで話題を呼び、注文が絶えなくなった[2]。「私にはあのコミュニティが必要だった」とリッカは言う[2]。海を越えた愛と、自らの手を動かす静かな時間。そのふたつを選んだ結果が、彼女の新たなキャリアを静かに花開かせた。
キロの浜辺が変える「新定番」——自然を求める投資マネー
モンテビデオでも、プンタ・デル・エステでもない。今、投資家の視線は、首都から30分、ラプラタ川沿いに28キロにわたってビーチが広がるシウダー・デ・ラ・コスタに注がれている[3]。人口9万1,238人[3]を擁するこの街は、かつては夏季限定の別荘地だった。しかし今、不動産価値は20%以上も上昇する活況を見せ、投資家の新たな「定番」になりつつある。背景には、パンデミック以降の価値観の変化がある。「モンテビデオには、もはや新規開発の余地が少ない。対照的に、ここはすべてがモダンで、建物同士が密集せず、緑がふんだんに残されている」。開発会社リーバ・デサロジョス・インモビリアリオスのCEO、ロドリゴ・タボアダはそう分析する[3]。同業のアルファ・リアルターズ創業者オマール・オイェナルトも「インフラと空港へのアクセスが、この地を投資対象に変えた」と語る[3]。同社は海に面した2棟33戸の新規プロジェクトに700万ドル(1平方メートルあたり2,800〜3,600ドル)を投じた[3]。「見上げれば無数のクレーンが見える」というオイェナルトの言葉通り[3]、海岸線には新しい暮らしを求める人々の受け皿が次々と生まれている。より多くの緑と、より穏やかな時間を、自らの稼いだ資金で選び取る。その個人の決断の集積が、都市の地図を静かに塗り替えている。
背景を少し
今回、レオナルド・ブラボがアルファホールに用いたゴフィオ(焙煎した穀物の粉)は、スペインのカナリア諸島に由来する。ウルグアイのタラ一帯は、19世紀以降にカナリア諸島からの移民が多数移り住んだ土地であり、ゴフィオを用いた食文化が今も生活に根付いている[7]。ブラボの試みは、単なる商品開発の一例にとどまらず、移民が持ち込んだ古い食習慣を、同時代のウルグアイの味覚や素材と再接続する文化的な実践とも言える。一方のシウダー・デ・ラ・コスタの活況も、カネロネス県が長年、モンテビデオのベッドタウンとして人口を受容してきた歴史の延長線上にある。
日本から見ると
「自らの居場所と仕事を、自らの意志で定義し直す」。この動きは、そのまま日本の地方都市や郊外で起きている現象と響き合う。ブラボの選択は、都会の研究所を辞め、地方の原材料で勝負する日本のクラフトビール醸造家や移住パン職人の姿と重なるだろう。リッカの共同工房は、シェアアトリエやコワーキングスペースで手仕事を興す日本の女性たちの選択と地続きだ。大規模な経済成長に代わる幸福の指標として、緑や静けさ、手触りのある創造の時間を重視する点は、日宇両国で驚くほど似通っている。違いがあるとすれば、ウルグアイでは人口約344万人という国のコンパクトさゆえに、こうした個人の選択が「クレーンの数」として都市景観にまで早く表出する点かもしれない。ひとりの職人のアルファホールが、遠い島の記憶を隣人に届けるように。