リード
7月のオーストラリアは冬のさなかにある。南東部のスキーリゾートは細長い人工雪の帯に頼りながら新学期の休暇客を迎え、北の海辺では退役軍人が帆を張ってPTSDと闘う [2][5]。その同じ国で、シドニーの港には世界的な芸術家が「秘密の彫刻」を準備し、SNSを開けば若者たちが二日酔いを「美しいもの」と語らう投稿が流れてくる [4][3]。ちぐはぐに見えるこれらの話題に共通するのは、現実の厳しさをまっすぐ見据えながら、そこに小さな喜びや回復の余地を差し込もうとする人々の身ぶりだ。パリから届いたシャネルの童話仕立てのクチュールもまた、創業者の「シンデレラストーリー」を下敷きにした日常着賛歌だった [1]。7月第2週、オーストラリアの生活者たちは何に笑い、何に救われているのか。
豆の木を登った先の「黄金のガチョウ」——シャネルが童話で語った創業者の精神
パリのシャネルが7月7日に発表した2026年秋冬オートクチュールは、会場を巨大なポピーとキリン並みの高さのルピナスで埋め尽くし、映画『ロード・オブ・ザ・リング』の重厚なサウンドトラックを流す異空間だった [1]。最初にランウェイに現れたモデルは、透けるようなモスリンのスカートスーツに身を包み、手には100年前にココ・シャネル自身が愛蔵していた手のひらサイズの童話集を持っていた [1]。背表紙を飾ったボタンはアヒルの子から白鳥へと変わり、バッグは眠る金色のクマの形。「ゴルディロックス(童話『3匹のくま』の主人公)のミノディエール」だ [1]。ショーの後、舞台裏で同じ童話集を手にしたクリエイティブ・ディレクターのマチュー・ブレイジーは、記者団にこう語った。「彼女は“リアルな女性たちのための服”を作ることでハシゴを登り、黄金のガチョウを見つけたのです。彼女の服は決してパロディではなく、生活に根ざしていた」[1]。ラストを飾ったのは、伝統的にオートクチュールショーのクライマックスとなるウェディングドレスではなく、ココが生涯結婚しなかったことにちなんだ「復讐のドレス」と名付けられた細身の黒のワンピース。ブレイジーは「冒険は日常にある」と言い切る [1]。
断崖から帆船へ——「海のブルー」がPTSD退役軍人を生還させた
デイブ・フィリップス氏(67)は数年前、イングランド南西部コーンウォールの崖の上で眼下に広がる大西洋の波を見下ろしながら、「これしかない」と思い詰めていた。英国陸軍の元伍長で、軍務による心的外傷後ストレス障害(PTSD)に加え、短期間で複数の愛する人を失ったことが彼を限界まで追い詰めていた [2]。「僕らの世代は話すことをしなかった」と同氏は振り返る。一歩を踏み出すのを踏みとどまらせたのは、亡きパートナーの「バカなことやめろ」という声だった [2]。その日、崖を後にしたフィリップス氏を救ったのが海洋療法、通称「ブルースペースセラピー」だ。退役軍人をヨットで海に連れ出しトラウマと向き合わせる慈善団体「ターン・トゥ・スターボード」に参加したことで、彼の人生は一変した。「海はすべてのストレスや重圧から僕を連れ去ってくれる。そこには静けさの力がある」[2]。現在、同氏は2隻の帆船で英国一周に挑みながら寄付を募り、インビクタス競技大会の旗を運ぶクルーの一員だ。団体CEOのサリー・テリー氏は「海は自分が生きていることを思い出させてくれる。何かが人の中で目を覚ますのを私は見てきた」と語る [2]。2014年に海洋生物学者ウォレス・J・ニコルズが著書『ブルー・マインド』で科学的裏付けを示して以来、水の近くで過ごすことの神経学的効果への注目が高まっている [2]。
「ダサい二日酔い」はもう古い——Z世代が語る“ロマンチック”な後悔の朝
二日酔いの朝といえば、布団にくるまってスポーツドリンクを流し込み、前夜の失言に悶えるのがお決まりだった。しかし今、TikTokやインスタグラムでは、若者たちが目元のクマや頭痛さえも「楽しかった夜の勲章」としてキラキラと発信している [3]。「若くて愚かだから二日酔いをロマンチックに見せるの。それはつまり、楽しい夜を過ごしたって証拠でしょ?」。ある女性がオーバーサイズのパーカーとスウェット姿で歯を磨きながら踊る動画のキャプションだ。「それは控えめに言って美しいことだと思う」[3]。別の女性は晴れた翌朝の散歩を微笑みながら撮影した動画に「二日酔いだけど愛と幸せで満たされている」と書き添える。ニューヨークのアパートで「腐っている」と自嘲する投稿には、フランク・シナトラの『ニューヨーク・ニューヨーク』が流れる [3]。飲料メディア『パンチ』の編集者メアリー・アン・ポルト氏は、これを健康最適化カルトへの反発と読む。「体調が悪いことを美化すべきとは思わないけれど、大切なのは楽しい夜を過ごした自分を責めないこと。バランスでいいんだと言っている」[3]。ドリンク文化のニュースレターを発行するデイブ・インファンテ氏は「アルコールと二日酔いは、“自分はカラフルに破滅的”という無鉄砲な魅力に訴えかける」と分析する [3]。
世界中のヒマワリの種がシドニー港に? アイ・ウェイウェイが準備する「秘密の彫刻」
かつてテート・ギャラリーの床を1億個の手作り陶磁器のヒマワリの種で埋め尽くした中国の現代美術家で活動家のアイ・ウェイウェイが、今、シドニー港を望む芝生に「秘密の彫刻」を準備している [4]。シドニー近代美術館(MCA)の真正面、シドニー・オペラハウスを一望できるこの一等地では、昨年9月に英国彫刻家トーマス・J・プライスの高さ3メートルの金色の頭像が設置されたばかりだ [4]。総額300万豪ドルの寄付により実現する今回の作品について、テーマも形状も公開は9月の除幕まで明かされないが、MCA館長スザンヌ・コッターは「オーストラリアで2026年に発表される最も示唆に富み、衝撃力のあるパブリックアートの一つになる」と予告する [4]。同館長は「アイ・ウェイウェイは、その声がアート界をはるかに超えて響く芸術家です。このコミッションはシドニーにとって重要な瞬間となるでしょう。規模において野心的で、メッセージにおいて深遠で、象徴的なこの場所を訪れる誰もを巻き込む作品になる」と述べた [4]。これはテレビ業界の故ニール・バルナベス氏が2000万豪ドルを芸術団体に寄付した遺産をもとに設立された「ニール・バルナベス・タラウォラダー・ローン・コミッション」によるもので、MCA史上最大のプログラム寄付として毎年、世界的な現代彫刻を一般公開する計画だ [4]。
背景を少し
オーストラリアのスキーリゾートは気候変動と闘いながら、7月の学校休暇シーズンを迎えた。ビクトリア州のマウント・ブラーやニューサウスウェールズ州のスレドボ、ペリッシャーでは、6月下旬にかけての記録的な雪不足で、主要ゲレンデは人工雪の細長い帯だけが頼りという状態が続いた [5]。タスマニア州のベン・ローモンド・リゾートでは、2021年に経営権を取得したベン・モック氏が6基の人工降雪機に約100万豪ドル(約1億円)を投資した結果、2021年は年間わずか17日だった営業日数が昨年は104日にまで伸びた [5]。「雪作りは私たちだけでなく、すべてのスキーリゾートにとって保険です。自然がいつ雪を降らせるかわからないが、寒ささえあれば雪を補える」とモック氏は語る [5]。7月の最初の週末にまとまった降雪があり、リゾートはようやく冬の景色を取り戻した。ペリッシャーで約50年前から働くバーニー・デイビス氏は、降雪量の減少傾向を身をもって感じている一人だ [5]。
日本から見ると
「二日酔いのロマンチック化」は、一見すると単なるSNS上の若者言葉の遊びに見える。しかし、そこで語られる「自分を責めない」という態度は、日本の飲酒文化やハラスメント防止の文脈とは別のベクトルで興味深い。節制や自己管理が美徳とされる風潮への、肩の力を抜いたカウンターだ。また、海を舞台にしたPTSD治療の広がりは、四方を海に囲まれた日本でも実践の余地が大きい。マリンアクティビティを通じた社会復帰の仕組みは、自衛隊や被災者支援の現場で参照できるだろう。一方、6基の人工降雪機がスキーリゾート一つを丸ごと支えるタスマニアの現実は、日本の多くの中小スキー場が直面する未来そのものだ。雪に頼らない経営の具体例として、その損益分岐点のデータは喉から手が出るほど欲しい情報ではないか。シドニー港のアイ・ウェイウェイやパリのシャネルという「遠くの大ニュース」のかたわらにある、こうした小さく具体的な選択と工夫こそが、国を問わず暮らしの実感を形づくっている。