リード
ヘンリー王子とエルトン・ジョンら7人が英大衆紙デイリー・メールの発行元ANLを訴えた訴訟で、7月7日、ロンドン高等法院は原告側の請求をすべて棄却した[1][3][4]。原告が主張した盗聴や不正な口座アクセスといった違法な情報収集を立証できなかったという点で各国の報じ方は一致するが、判決の受け止め方と責任の所在をめぐる論調は分かれた。アルゼンチンのラ・ナシオン紙は「スパイ行為」疑惑という枠組みで報じ[1]、ナイジェリアのパンチ紙はANL側の「記者の汚名が晴らされた」という声明に紙幅を割いた[4]。同じ7日の判決が、各国で異なる物語として読者に届いている。
各国が一致する事実
7月7日、英国高等法院のマシュー・ニックリン判事は、ヘンリー王子、エルトン・ジョンとその夫デイヴィッド・ファーニッシュ、女優エリザベス・ハーレイとセイディ・フロスト、人種差別撲滅活動家のドリーン・ローレンス、元議員サイモン・ヒューズの計7人による共同訴訟で、ANLへの賠償請求を全面的に退けた[1][3][4][5]。原告側は1993年から2018年にかけ、ANLが私立探偵の雇い入れ、ボイスメールの傍受、通話の盗聴、銀行口座への不正アクセスなどの手段で私的情報を違法に収集したと主張した[1][4][5]。これに対し裁判所は、不法行為の証拠が不十分であり、記事は合法的な情報源から得られた可能性を排除できないと判断した[1][3][4]。11週間におよぶ審理の末、ANLに対して出された97件の申し立てはすべて退けられ[3][4]、ANLは「自由な報道にとっての勝利」とする声明を発表した[3][4]。判決文は436ページに及んだ[3]。判決の骨子は、どの国のメディアもほとんど同じ事実として伝えている。
問題定義の違い
同じ裁判を伝えるにあたり、各国メディアは問題の輪郭を異なる言葉で切り取った。アルゼンチンのラ・ナシオン紙は見出しに「presunto espionaje(スパイ行為の疑い)」という表現を用い、単なるプライバシー侵害ではなく、組織的な違法監視という犯罪性の高い枠組みを前面に出している[1]。デンマークのポリティケン紙とナイジェリアのパンチ紙は「ulovlig informationsindsamling」「unlawful information gathering」と、いずれも「違法な情報収集」という法的な問題として定義した[3][4]。ペルーのエル・コメルシオ紙は「violación de la privacidad(プライバシーの侵害)」と題し、個人の権利侵害という視点から報じた[5]。コロンビアのエル・ティエンポ紙も「vulneración de su vida privada(私生活の侵害)」と報じているが、記事の大半が表示されず、問題の定義づけは見出しから推測するほかない[2]。同じ訴訟を「スパイ行為」の疑いと見るか、「プライバシー侵害」の民事訴訟と見るかで、読者の受けとめ方は大きく変わりうる。
因果と責任の描き方
敗訴の原因についても、各国の報道は力点を異にしている。ラ・ナシオン紙は「原告側が情報の違法な入手を証明できなかった」というニックリン判事の判断を淡々と伝え、責任の所在については踏み込んだ解釈を加えていない[1]。エル・ティエンポ紙も、記事が途切れているために判決の理由にしか触れていない[2]。これに対し、エル・コメルシオ紙は判決の理由に加えて「提訴が期限切れであり、原告側が遅延の正当な理由を説明できなかった」という裁判所の認定を大きく報じており、訴訟を起こす側の手続き上の落ち度に因果を帰している点が特徴的である[5]。ポリティケン紙は立証不足に加え、ハリー王子が「裁判所がANLを免責した」と非難する声を引用することで、司法と原告双方の応酬として描いた[3]。パンチ紙は、ANLの声明を中心に構成し、「原告の主張は根拠がなく不条理であり、ジャーナリストたちの誠実な証言が認められた」と報じ、原告側こそが根拠のない告発をしたという逆転した因果関係を読者に提示している[4]。
道徳的評価と引用元の違い
誰の声を載せるかによって、記事全体の道徳的な評価は大きく傾いている。ラ・ナシオン紙は、ハリー王子とローレンス氏の共同声明を大きく引用し、今回の判決を「完全かつ明白な隠蔽工作」「不可解でまったく不当な決定」と断じる原告側の怒りだけを伝えた[1]。被告であるANLの反論は紙面にない。逆にパンチ紙は、ANLの「日刊紙のジャーナリズムが見事に立証された」「真面目で勤勉な記者たちの汚名が晴らされた」という声明を軸に構成し、判決を正義の回復として描いた[4]。パンチ紙の記事に原告側の直接の反応は登場しない。ポリティケン紙は、ハリー王子の「完全なるホワイトウォッシュ」という批判と、ANLの「自由な報道の勝利」という声明の両方を並列し、相対的にバランスのとれた構図をとった[3]。エル・コメルシオ紙は裁判所とANLの主張だけを紹介し、ハリー王子側の声を欠いたまま記事を閉じている[5]。エル・ティエンポ紙は、記事が途中で途切れているために、どちらの声が強調されているのか判断できない[2]。
欠けている視点
いずれの報道も、何らかの視点を落としている。ラ・ナシオン紙はハリー王子側の怒りを詳述する一方、訴訟を退けられた側として詳細な反論の機会をANLに与えていない[1]。パンチ紙は、ANLを「圧倒的勝利」の側として描き、敗訴した著名人たちの今後について一切言及しなかった[4]。エル・コメルシオ紙は訴訟期限切れというANL側に有利な論点を強調したが、ハリー王子が判決を「隠蔽」と呼んだことや、控訴の可能性にはまったく触れていない[5]。ポリティケン紙は両論を併記するかたちをとったものの、裁判所が証拠をどう評価したのか、数百ページに及ぶ判決の具体的な法的根拠には踏み込んでいない[3]。エル・ティエンポ紙は記事が途中で切れており、本来どのような視点を含んでいたのかさえ読み取れない[2]。こうした欠落を抱えながらも、それぞれの記事は一つの「真実」として読者の前に差し出されている。